母校について
沿革
創立第一年に着任した岡井慎吾(國漢)がその日記に、「十六日午後ヨリ雨トナル、御親署ノ勅語ヲ拝観ス。/十七日晴ル、天佑ト云フベシ、本校[高師]講堂ニテ開校式。」(飛龍)としるしているように、1905(明治三十八)年四月十七日、廣嶋高等師範學校の講堂において、廣嶋高等師範學校附属中學校の第一回の入学式が行われた。爾後、この日をもって開校記念日と定めたのであるが、初代主事長谷川乙彦は、のち「かくて職員が手揃いになり、校舎内部の設備も一通りの手配が出来て、愈開校の式を挙げることになり、七十四名[七十八名]の生徒を父兄附添ひで本校の講堂に集め、校長主事の訓示、職員総代の祝辞、生徒総代の答辞があり、且つ四ヶ条の生徒訓条を宣言して茲に事実上の學校の成立を見たのは春漸く深く、櫻花正に爛漫たる四月十七日であった。」(鳳翔)と書いている。この四月十七日は、日露戦争にあって、ロシア軍のバルチック艦隊が、遠くアフリカ大陸の南端喜望峰を回って、仏領インドシナのカムラン湾に入港した日でもあった。
(創立九十周年記念誌より)
明治38年(1905年) | 3月 | 広島高等師範学校附属中学校(生徒定員350名、10学級)の設置認可。 | |
4月 | 17日 | 第1回入学式(高師講堂、74名)、生徒訓条4か条・校章制定。
(以後、この日を開校記念日とする。) |
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4月 | 18日 | 旧土木監督署(千田町)を仮校舎として授業開始。 | |
9月 | 12日 | 教育実習を開始。 | |
39年(1906年) | 12月 | 23日 | 附属中学校新校舎(高師構内)に移転。 |
大正4年(1915年) | 7月 | 10日 | 創立10周年記念誌『十かへりの花』を刊行。 |
9年(1920年) | 11月 | 3日 | 中等教育研究会を創立し、第1回を開催。 |
12年(1923年) | 3月 | 1日 | 父兄団を設立。 |
14年(1925年) | 5月 | 24日 | 創立20周年記念誌『旭光』を刊行。 |
昭和5年(1930年) | 5月 | 18日 | 創立25周年記念誌『二十五年史』を刊行。 |
10月 | 25日 | 創立25周年記念誌『飛龍』を刊行。 | |
7年(1932年) | 7月 | 7日 | 中等教育研究会 『中等教育の実際』を創刊。
(昭和15年11月 時局下、第29号をもって休刊。) |
17年(1942年) | 3月 | 26日 | 3学級併進(定員525名)の認可。 |
20年(1945年) | 1月 | 20日 | 科学学級(1、2、3年 各1学級)編成。 |
4月 | 3年生以上、通年動員に出勤。 | ||
7月 | 4日 | 1、2年生、及び科学学級3年生以下、賀茂郡原村、比婆郡東城町などに疎開。 | |
8月 | 6日 | 原子爆弾により、全校舎焼失。 | |
9月 | 賀茂郡原村、豊田郡戸野村などにおいて授業再開。 | ||
22年(1947年) | 1月 | 15日 | 全校、広島市の旧校地に復帰。 |
第26回全国高校サッカー選手権大会で優勝。 | |||
23年(1948年) | 3月 | 17日 | 新制中学校第1回卒業式を挙行。 |
11月 | 第3回国民体育大会においてサッカー優勝。 | ||
24年(1949年) | 3月 | 8日 | 新制高等学校第1回卒業式を挙行。自署名簿制度を設立。 |
5月 | 31日 | 校名を広島大学・広島高等師範学校附属中学校・同高等学校と改称。父兄団をPTAに改組。 | |
26年(1951年) | 9月 | アカシア賞制度を設立。 | |
27年(1952年) | 4月 | 1日 | 校名を広島大学教育学部附属東千田中学校・同高等学校と改称。 |
28年(1953年) | 5月 | 1日 | 高校『教育研究』を創刊。(以後、毎年刊行。第4号より『研究紀要』) |
11月 | ユネスコ教育実験学校(現在は、ユネスコ・スクールと改称)に指定。 | ||
29年(1954年) | 1月 | 7日 | 第32回全国高校サッカー選手権大会に優勝。 |
3月 | 中学校『教育研究』を創刊。(以後、毎年刊行。) | ||
4月 | 1日 | 高校を各学年5学級、中学校を各学年3学級に改組。 | |
30年(1955年) | 7月 | 1日 | 校名を広島大学教育学部附属中学校・同高等学校と改称。 |
11月 | 3日 | 『創立50周年記念誌』を刊行。「炎の碑」除幕式を挙行。 | |
32年(1957年) | 11月 | PTA会誌『むつミ』を創刊。 | |
33年(1958年) | 11月 | 高校生徒会誌『うごき』を創刊。 | |
34年(1959年) | 3月 | 中学校生徒会誌『流れ』を創刊。 | |
35年(1960年) | 4月 | 14日 | 高校生徒会誌『附高入門』を創刊。 |
36年(1961年) | 3月 | 15日 | 全校、現在地(当時、広島大学教養部、旧広島高等学校跡)に移転。 |
40年(1965年) | 9月 | 創立60周年記念学校祭を挙行。 | |
45年(1970年) | 10月 | 4日 | 新校舎(中・高校普通・実験教室、体育館、プール等)落成式を挙行。 |
46年(1971年) | 4月 | 17日 | アカシア会館が落成。 |
50年(1975年) | 4月 | 17日 | 創立70周年記念「生徒集会所(食堂)」を新築。 |
53年(1978年) | 6月 | 17日 | 校名を広島大学附属中学校・同高等学校と改称。 |
56年(1981年) | 4月 | 中学校生徒会誌『附中入門』を創刊。 | |
60年(1985年) | 4月 | 1日 | 研究開発学校の指定を受ける。(昭和63年3月まで) |
4月 | 17日 | 創立80周年記念誌『創立八十年史(上巻)』を刊行。 | |
4月 | 23日 | 創立80周年祝賀会を挙行。 | |
11月 | 23日 | 「若人の像」除幕式を挙行。 | |
61年(1986年) | 3月 | 創立80周年記念「研修館」を新築。 | |
4月 | 17日 | 創立80周年記念誌『創立八十年史(下巻)』を刊行。 | |
62年(1987年) | 4月 | 17日 | 中等教育研究開発室(7部門)を発足。(現在は8部門) |
63年(1988年) | 9月 | 1日 | 同開発室『研究論集』第1号を刊行。 |
9月 | 1日 | 同開発室『年報』を創刊。 | |
平成2年(1990年) | 2月 | 高等学校入学検査に推薦制度を導入。 | |
4月 | 17日 | 創立85周年記念式典を挙行。 | |
6年(1994年) | 2月 | 講堂が広島市により被爆建物として指定される。 | |
7年(1995年) | 創立90周年記念「情報館」を新築。 | ||
3月 | 30日 | 『創立90周年記念誌』を刊行。 | |
4月 | 15日 | 創立90周年記念式典を挙行。 | |
6月 | プールを全面改修。 | ||
9年(1997年) | 4月 | 研究開発学校の指定を受ける。(平成12年3月まで) | |
10年(1998年) | 9月 | 講堂が文化庁により有形文化財として登録される。 | |
12年(2000年) | 4月 | 15日 | 創立95周年記念式典を挙行。 |
15年(2003年) | 3月 | オーストラリア研修を開始。 | |
4月 | スーパーサイエンスハイスクールの指定を受ける。(平成19年3月まで) | ||
16年(2004年) | 4月 | 1日 | 全国の国立大学が国立大学法人に移行。 |
17年(2005年) | 4月 | 16日 | 創立100周年記念式典を挙行。 |
4月 | 17日 | 創立100周年記念誌『創立百年史(上・下・別巻)』を刊行。 | |
19年(2007年) | 4月 | スーパーサイエンスハイスクールの指定を受ける。(平成24年3月まで) | |
20年(2008年) | 3月 | 2号館耐震補強工事、講堂前渡り廊下の撤去工事竣工。 | |
3月 | 英国研修を開始。 | ||
22年(2010年) | 2月 | 1号館耐震補強工事竣工。 | |
3月 | テニスコートを全面改修。 | ||
24年(2012年) | 3月 | 3号館耐震補強工事竣工。 | |
4月 | スーパーサイエンスハイスクールの指定を受ける。(平成29年3月まで) | ||
25年(2013年) | 4月 | クラブハウスの供用開始。 | |
26年(2014年) | 10月 | 講堂の耐震補強天井改修工事を行い、LED照明を取付。 | |
11月 | 8日 | 第5回ESD大賞ユネスコスクール最優秀賞を受賞。 | |
27年(2015年) | 3月 | 1日 | 『創立110年史』を刊行。 |
4月 | 18日 | 創立110周年記念式典を挙行。 | |
12月 | 創立110周年記念「生徒集会所(食堂)」改修工事竣工。 | ||
28年(2016年) | 3月 | 体育館の耐震補強天井改修工事を行い、LED照明を取付。 |